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(From H14-10-28)
目次
掲示板(一言どうぞ) |
東京の名所 淺草界隈
待乳山聖天は、浅草寺の支院である。創建は推古天皇の9年(602年)の夏、旱魃にあえぐ人々に十一面観音が大聖尊歓喜天に化身し、人々を救ったため、「聖天さま」として祀った事による。境内にはトーキー渡来碑があり、石段の手すりに飾られた大根と巾着は、ご利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表す。 山谷堀がいつ頃掘られたかはっきりしないが江戸の吉原との関係からみてもおそらく江戸初期にできたものであろう。当時、この堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立ててこのコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにおだいじん遊びだった。堀の上流の方から日本堤橋、地方橋、地方新橋、紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋、吉野橋、聖天橋、今戸橋と九つの橋がかけられていたが、埋立に伴いすべて取り除かれており、橋台のみが昔の面影を残している。 明治通りと交差する大関横丁から日光街道を少し北上した所に投げ込み寺(浄閑寺)がある。安政大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。新吉原総霊塔が建立され、花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」が彫られている。 浅草は江戸時代から下町の大繁華街だった。そのため、待乳山聖天や山谷堀、吉原、投げ込み寺(浄閑寺)、入谷鬼子母神と時代劇に馴染みの場所を整理した。 江戸時代に酉の市を開いていた長國寺から、鷲神社が明治維新の神仏分離令により分離した。両者は小道一つで境界としているが、互いに酉の市開催の正当性をホームページで主張している。長國寺は鷲妙見菩薩を祀っているから酉の市を開くとし、鷲神社は江戸時代から開いているとする。境内の広さと知名度から鷲神社のほうが賑わっている。 かっぱ橋道具街は、調理に関する道具を始め多くの道具が揃い、料理のサンプルであるロウ細工は外国人のお土産としても有名である。かっぱ橋本通りは、橋の由来となった合羽川太郎に因むかっぱ寺(曹源寺)や、海禅寺の梅田雲浜の墓などがある。 かっぱ橋道具街は、調理に関する道具を始め多くの道具が揃い、料理のサンプルであるロウ細工は外国人のお土産としても有名である。かっぱ橋本通りは、橋の由来となった合羽川太郎に因むかっぱ寺(曹源寺)や、海禅寺の梅田雲浜の墓などがある。 かっぱ橋道具街は、調理に関する道具を始め多くの道具が揃い、料理のサンプルであるロウ細工は外国人のお土産としても有名で |
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